もう、11月だね

最近、なんかバタバタして、時間があっという間に過ぎて、書けないかった。もう11月半ば。Mamma mia~!
ある方から、キノコについての質問があった。正直いって、あまりわちきはキノコ類に関心がなく、キノコスパゲッティーを食べたい、と思うが、わちきの家で食べたがる人は誰もいないので、作らないのだが。でも、無性に醤油バターに胡椒の効いた味付けで食べたくなる。
イタリアに有名なキノコがトリュフとかポルチーニとかあるが、調べると他にも色々あるようだ。知らなかった〜!確かに、買い物に行くと、秋にはいろんな種類のキノコが出回っている。あまり関心なかったから、みて通り過ぎてたけど・・・。ある方からの質問がない限り、私の知識が広がらなかった。感謝いたします‼︎
そう言われれば、ある時雨が降った後に、庭に赤いキノコが出ていた。もちろん食べれないのだが・・・。日本も同じだと思うが、地域ごとに食用のキノコがあると思うが、ここも同じで、うちのエリアを歩くとキノコは見つけられる。でも、本で食用と言われても、似たようなものがあるから、地元の詳しい人に聞かないといけない、と言われてる。


一度、わちきの主人と友達Rさんが友達Bさんのところに行って、キノコを見つけた。とても大きい傘のキノコでRさんは食べれるから、と言ってBさんにあげようとしたけど、Bさんはいらないと断った。それは、あまりキノコが好きというほどではないので断ったのだが。Rさんの家からBさんの家は、車で30分ぐらいしか離れてないのだが、Rさんがそのキノコを家に持ってかえって、わちきたちも一緒に彼の家に行って 夕食を食べることにした。数時間経ってそのキノコを見たら、綺麗だった色がどす青黒くなっていて、Rさんはこれは食べれないキノコだった、と言った。Rさんも色々キノコのこととか知ってるけど、やっぱり似てるものとか、場所が変わるとわからないこともあるから、気をつけないといけない、と思った。しかし、Bさんが断ってくれてよかったよ、とほんと思った。もし、これを調理してたら、と想像すると恐ろしくなった。みなさん、気をつけましょう。


もし、キノコがまだスーパーに出てたら、写真撮ってここに載せようと思う。少し、勉強しないといけないな。

Fukushima 50

最近、友達から”Fukushima 50"と言うフィルムが送られてきた。アメリカとイギリスの共同で製作された映画だが、コロナのために上映されなかった、と言うことで、これを拡散してほしいということだった。


わちきも最初だけ見たが、それ以上見ることはできなかった。それは、わちきが福島県出身で、家族や親戚、友達がいるわちきにとって、あの時夜も寝れず、NHKのインターネット配信でのニュースをずっと泣きながら見ていて、どんな思いで見ていたか・・・。その後も、インターネットでいろいろ調べまくり、政府が言ってない事実、いろんな情報が、多分日本人よりも早く入ってきて、どれほど心が締め付けられる思いだったか・・・。
また、しばらくして原発のこと、そこで命を顧みず、仕事をした人たちの話、県外から死ぬ覚悟で応援に来た人たちの話、海外から来た人たちの話、いろんな話で涙無くしては聞けないことが多くあった。それと、ほんと人々に感謝してやまない思いだった。


だから、友達から送られてきたフィルムは、あまりにも生々しく、その時のことが蘇ってくるので、見ることができなかった。
当時のことを知りたい人にとってはいいことかもしれないが。


原発は、もう無くしてほしい。稼働するのをやめてほしい。
エネルギーは原発を使わなくても大丈夫なのに。
核のごみ処理に責任を持てないのに。未来のことも真剣に考えているのだろうか。


そんなことを思った数日前だった。

日本で育ってよかった!

最近いろいろと忙しくなってきて、ブログが書けなくなってきた。でも、時間見つけて書こうと思うけど、書き始めると集中してしまって、時間があっという間に過ぎてやるべきことができなくなることもある。途中でやめて、続きは後で、ということはわちきにはできないということがわかった。


イタリアに来た時、なぜか心が枯渇状態になってることに気づいた。心が枯れ果ててしまって、日本に帰った時に心をいっぱい潤わせて、イタリアに帰り、また、1年後ぐらいに帰ってカラカラになった心を潤わせていた、わちきだった。
なぜ、そう枯渇状態になるかというと、いろんな理由があったのだが、1つは、わちきは自然に触れないと息ができなくなってきてしまう。


日本にいた頃は、自然のある公園が近くにあったし、公園には花や木があって、土もあり、池もあって、そこには鯉がいたり、とそれが無料で入れるし、芝生にも入れるでしょ。そこで、お弁当食べたり・・・。特別にケアしてるところは有料だけど。
イタリアは、みんな石畳か、コンクリート。自然公園は、山に行くか、海に行くか、または、お金を払って入るしかないし、中に入っても芝生には上がれない。
そして、ちょっとした自然のある庭は、Villa(ヴィッラ)といって、貴族の家の庭だったから、今はプライベートで持ってることが多く、有料になってることが多い。


アメリカは、計画都市だから、もう所々に自然があったし、ドイツとかイギリスとかも、公園というと、自然がいっぱいだし、道路に並木があったりして。
だからきた当時は、主人に1ヶ月に1回でいいから、自然の豊かなところに連れてって、と頼んだ。


それから、美に対して、イタリアはあまりにも外的過ぎて、疲れてしまっていた。
髪型、服装、家の中、私からすると、外的なものにこだわり過ぎ。
お金がなくても、美容院に行き、服を買う。田舎に住んでて、ちょっとしたパン屋さんに行くのに、ラフな格好では行けない。
家の中も、日本なんかは、カーテンの使い方がとても上手で、日差しを防いたり、寒さを和らげたりするのに、部屋との調和を保ちながら、おしゃれで実用的なものを選ぶのではないですか。でも、こっちは、そんなことより、いかに綺麗に見せるか、それだけ。人にもよるでしょうけど、とにかく美を重んじる。
それは、カーテンだけではなく、とにかく全てに対して、外的美を重んじる。
疲れる・・・、わちきは。


そして、テレビのドラマ。
日本は、喜怒哀楽のある内容が多い。イタリアは、ドロドロとした恋愛もの、ドロドロした愛で家庭の中がごちゃごちゃになるとか。1つの番組が10年とかそれ以上続いたりする。
疲れるよ。日本みたいに、涙・笑い・怒り・感動・教訓とかあるものじゃないから。


いろいろあげたらきりないけど、とにかく、わちきは心が枯渇していた。
今は慣れたけどね、というか、慣れてないけど、割り切って、自分の価値観でいろいろ影響されずにやってる。それに、今はインターネットで日本のもの見れるし。


今回はイタリアに対する不平不満ではなく、わちきとあまりにも価値観が違うこと、文化の違いで枯渇してしまっていたことに対して、ブツブツ言わせてもらった。
ほんと、今は受け入れられるから大丈夫。時間はかかったけどね。
とにかく、環境が変わり、文化の違うところに行くと、いろんなこと経験する。でも、それを受け止めることによって、自由が広がっていく。その分、自分も幅を広げられるよね。
日本国内にいても、それは同じだよね。


でも、日本の文化は素晴らしいですよ。日本に生まれてよかった、ほんと。