学校って何するとこ?

わちきに子供ができて、子供を通してより一層イタリアの社会に馴染むことができた。ほんと感謝してる、子供に。それがなければ、主婦をしてるわちきに取って、イタリアの社会に入っていく機会はあまりなかったかもしれない。仕事をしてたら別だろうが・・・。選挙権もあるわけじゃないし、政治に関心があっても何を言えるわけでもないし。


幼稚園に入るようになって、イタリアの大人がより見えてくるし、子供たちの社会も見えてくる。よくも悪くも、ここで生きてく限りは、中に入っていかないといけない。しかし、流されてイタリアの文化全てに染まることは避けたかったので、いろんなことを考えさせられた。今も・・・。


子供ができる前に主人と2人で観光地に行った時のこと、高校生1年生ぐらいの子たちのスクールトリップと一緒になった。自由行動かどうかは知らないが、一応ぞろぞろと、途切れ途切れのグループになって見学してた。その流れから離れてるこもいた。そして、集合の声がかかったが、生徒はすぐには集まらない。5分経っても集まらない。先生が、声を張り上げ集合をかけてた。日本では、あまり見られない様子だった。その時、イタリアの学校ってどんなとこ?という疑問が湧いた。
イタリアの小中学校は、基本的に校庭がない。あっても狭く庭のようなもの。だから、敷地が狭い。日本の小さな図書館とか公民館みたいな感じかな。だから、道路から学校の建物は近いし、2階の教室は道路からは中が見えないので、道路側に面してたりすることもある。
ある時、ある中学校のそばを通った時のこと、”Sta zitto(スタ ズィット)‼︎!”と、大声で言ってるのが聞こえた。それは、日本語で言えば、黙れ‼︎! ということ。静かに、とか静かにしなさい、とかいう言葉じゃなく、黙れ、という言葉だったのでびっくりした。学校の先生がそんな言葉を使うなんて、と。ますますどんなところか関心がより強くなった。


細かく言いえば色々あるけど、それを言ってらきりがないので、学校の目的と国民的キャラクターに絞ってわちきが体験したこと、見たことで感じだことを綴ってみたい。


まず、幼稚園は、公立と私立とカトリック幼稚園がある。小さい町は、公立だけの幼稚園、または、カトリック幼稚園が一つだけとかである。大きい町は、その3つの種類の幼稚園がある。小学校は、公立と私立。30年前ぐらい前までは、公立学校でもカトリックのシスター(修道女)が教えてたところが多かった。今は、普通の人が教育免許を取って教えてる。
幼稚園は、基本的なことは、家を離れて他の人たちと一緒に過ごしながら、それをまとめる先生がいて、その先生のいうことに従ってやっていくことを学んでいく。そして、友達を作り、みんなで協力して、みんなで何かをやる喜び、他人を尊重すること、そして、決められた時間の中で、嫌でも我慢してそれについていく、等々を慣れさせていくところである。それは、日本も同じだと思う。それプラス、学校によっていろんなことを教育してると思う。


しかし、小学校は日本と全然違う。
小学校からは、イタリアでは勉強するところ。それが主な目的。多少、集団行動を通して、人を尊重することを教えるが・・・。しかし、それは集団行動に影響が出てきたり、学校が乱れてくるため、先生方の舵を取りやすくすることもあると思う。本当に、生徒個人のこととか、子供たちの教育を考えて、ということは正直言って感じ取れない。
勉強についてこれない、先生の指示に従えない子に対して、その子の親は色々先生から言われる。まあ、先生方が言いたいことは、親の責任だ、ということで。先生方からすれば、私は教えてるのに、あなたの子はなぜできないのか、なぜ他の子ができることが、あなたの子はできないのか、親が勉強のサポートができなければ、誰かに頼みなさい、ということだ。


日本は、義務教育の場では、社会に出るための準備をするところだし、学業とともに、子供の内外ともの成長を考え、教育していく。だから、社会のシステムをもっと小さな規模と単純な次元で体験させていくでしよ。だから、児童会があるし、部活を通して、先輩後輩を教えるし、小学校生活で色々学べる。すごいことだよ、これは。


イタリアの学校は普通、音楽会や体育会、入学・卒業式がない。
学校によって、クリスマス会とか、学年が終わる時に、終業式ではないが親を呼んで子供たちによる出し物を披露するところもある。とにかく、その年に何をするかは、学校によって決められるので、毎年方針が変わることもある。
1つだけ、一番子供たちが楽しみなことは、1年に1度のスクールトリップである。


小学校の教科は、国語・算数・理科・歴史・地理・英語・体育・音楽・芸術。このうち、体育・音楽はいつもあるわけではない。学校によっては、教えれる先生がいない。市で予算がないので教師を雇えない、ということで、学校内にいる先生が教えたりすることもあるが、難しい時もある。だから、勉強の嫌いな子が、最初の6教科以外の教科を楽しみにする、ということができないこともある。
勉強が好きな子はいいけど、5年間の小学校生活は、うちの子にとっては地獄のようなものであった。学校にはなんの楽しみもなく、ただ、友達に会えるということだけだった。それで、頭痛や腹痛を起こしていた。登校拒否の症状が最後の方に、少し出てきた感じ。
人によっては、精神的に弱い、と思われるかもしれないが、楽しいことがないところで、好きでもないことをして、尊敬できない、好きになれない先生と、5年間一緒にいることを考えて欲しい。本当に、前向きにさせることは大変なことであった。
イタリアは基本、1年生の時の先生が、持ち上がりで5年間小学校が終わるまで同じである。


イタリアの国民性は、基本自分は仕事をやってるんだから、問題があった時は、自分のせいではない、という考えの傾向がある。勿論、そうでない人もたまにいるが。だから、他人や物、社会に対して責任をなしつける。自分が責任を持って、まずは自分からという日本みたな思いが足りない。それが、学校の先生もそんな感じだから大変。自分はちゃんと教えてるのに、どうしてわからないのか、と子供を怒り、親に文句を言う。
生徒たちが私たちのいうことを聞かないのは、親が、家庭が問題、ということを遠回しに言う。それもあると思うけど、どんな教え方、言い方をしたら、今受け持ってる生徒たちは聞くのか、と言うことをもっと考えて欲しい。その上で、こうして欲しい、となれば親たちも違うが。
先生方は自信があるから、教えたやり方で答えを出していかなかったり、先生の機嫌を損ねたりすると、いい成績がもらえない、特に小中学校は。勿論、全てというわけではないが。一見個性を尊重するように思われがちかもしれないが、発想や芸術面ではそうだと感じるが、特に数学関係は、教えてもらってる先生のやり方でやらないと、答えが当たってても喜ばれない。国語の作文なんかも、先生によっては、個人の表現を大切にするというより、先生の表現法になおされたりすることもある。
とにかく、イタリアはいい先生に当たればいいが、そうでないと学校生活が灰色になる。


イタリアは、3年間の中学校が終わると、高校はほとんど専門分野に分かれる。途中、選んだ高校がが合わない、ということで学校を変えれることもできる。3年間は一般理論と基本的なこと。そのあとの2年でよりレベルの高い専門的知識を入れていく。そのあと、大学に行ったり、専門の資格をとるための学校に行ったりする。
本当に勉強が嫌な子は、高校3年で辞める子もいる。その子達は、就職はできるが資格はもらえない。


わちきが思うには、イタリアの学校と日本の学校を比べた時、同じ学年だったら、イタリアの方が教えてる内容は深いと思う。中学校の教科書を見ると、教科によっては日本の高校でやってる内容があったり、普通の学校で習わないことも色々やってる。わちきは逆に、中学校でここまでやる意味があるのだろうか、と思うことがあった。
勉強に関心ある子は、イタリアの学校は面白い。わちきも、今だったらイタリアの中学校に行きたかった。


ちょっと、今日はイタリアの悪口になったかもしれないけど、これが現実。どこの教育の場も、いい面悪い面があるよね。