仕事を見て覚えることのできる日本人

初めて、ブログを始めようと思った時に、私という言葉を使わず、何にしようかと考えたら、”わちき”という言葉が出てきた。わちきとは、江戸時代の遊女が使ってた言葉のように辞書に出てたり、時代劇で使われたりすることもあったようで。でも、わちきは本か何かで、方言で使ってたのを見たような・・・。よく覚えてないけど、頭の片隅にある言葉。実際茨城県の方言にあったようだ。だから、わちきは遊び人でないこと、お断りしておく。


イタリアに住んで、もうウンじゅう年が過ぎた。その間、わちきの父も母も他界し、親のお世話ができなかったことが心残りになったので、主人には同じ思いをして欲しくなかったので、イタリアで義理の親と同居している。
一時は、わちきの両親が残した家に住むために、主人と相談して日本に住むことも考え、私が日本に先に行って主人の為に配偶者ビザを取って、数ヶ月日本に住み始めた。その頃は、主人も日本語がまあまあ話せたし、読み書きも時間は少しかかるもののなんとかできたから、まずはパートタイムの仕事を見つけた。わちきも、日本を離れていたので、パートタイムを探して働いていた。ところが、突然の義理の父の筋肉萎縮症が見つかった。主人は私に、帰りたい、と言わないから、私がプッシュしてイタリアに先に返して、私も家を片ずけてイタリアに帰った。それから、5ヶ月後ぐらいに、他界された。
その後、糖尿病と他の体の問題を持ってる義理の母を1人残すことはできず、結局その後、イタリアに腰を落ち着かせた。


わちきがここに住み始めた頃、この家には、豚一頭、牛一頭、うさぎ15匹前後、鶏30羽前後がいた。時々、子牛が増えたり、ガチョウが増えたり、七面鳥が増えたり、と色々あったが、基本的にはそんな感じ。
みんなこれは、食肉用の為。豚は家で殺して、サラミにしたり、ハンバーグとか、ソーセージとか、みんな家で作る。牛は大きすぎるから家でできないので、お肉屋さんに頼む。あとは、みんな家でお義父さんが殺して、きれいにして冷凍庫の大きのに入れて保存しておく。
全て初めての経験だった。豚をお肉にする時は、親戚や友達を呼んで仕事を手伝ってもらう。お礼は、お金ではなくお昼をご馳走したりするのである。一日中の仕事なので。そして、親戚や知人に頼まれれば、お義父さんたちも喜んで手伝いに行く。
うさぎは、欲しい人がいればさばいた後に、1Kgいくらで、売ったりしてた。


たまに、義理の親たちが1週間とか、数日旅行に行くのだが、その時は誰が家畜の面倒を見るかというと・・・。うちの主人にお義父さんたちがどうしたらいいか言っていくのだが、実際やるのはわちきである。主人はホテルの仕事をしてるので、家にいるわちきがやっていた。
とはいえど、わちきは農家育ちではないゆえ、何もしたことがないし、何もわからなかった。ただ、動物が好きな為、いつもお義父さんがやってるのを見ていた。だから、見よう見まねで、全てをやった。
牛や豚の糞の片ずけ、水と餌やり、うさぎの水と餌やり、鶏の卵を取って、水と餌をあげて、時にはひよこが生まれるから、その世話。ひよこは、数日親と一緒にするだけで、あとは他の鶏に殺されることがあるので、別にしないといけない。と、色々やることがあった。
帰ってきて最初に、お義父さんから言われたことは、”ほんと初めてなのか?”という言葉だった。ほんと、喜んでくれたことが嬉しかった。


いろいろと動物の生態の勉強になった、特に鶏とガチョウ。動物がほんと好きだから、動物を見てても飽きなくあっという間に時間が経ってしまった。うさぎは、お義母さんと色々あった時に気を紛らわせてくれた。動物の世界は全体的にシビヤだということがわかった。


今は、もう家畜たちはいない。ちょっと淋しいけど、家畜がいると、お泊まりできないからちょっと厳しい。ということで、家畜のお話はまた今度。ほんと、動物を通して色々学ぶことがあった。

イタリア語講座で

イタリアに来てすぐに、イタリア語の基本を習うため、市でやってる授業料無料の外国人のためのイタリア語講座に通うことにした。週に2回午前中の2時間だけ行ってたけど、わちきの先生が、”もしよければ、毎日あるから毎日来てもいいよ”と言ってくださった。しかしわちきは、”いいえ、いいです、2回で”としっかり断った。
実は、わちきは短大で声楽を勉強しててイタリア語のアリアとか歌ってた。音楽用語はほとんどイタリア語なので、少しは馴染みがあるのだが、大きな問題は、わちきはイタリアが好きじゃない、むしろ嫌っていたのでここに住む気もなかったし、昔からヨーロッパ旅行したかったけどイタリアは全く頭になかったくらいだ。だからここに住み始めて、イタリア語を聞くのも読むのも勉強することも好きになれなかった。でも、住むからにはわからないといけないから止むを得ず習い出したので、講座は1週間に2回でもう疲れていた。半年通って、講座が終わったが、生活で話したり、理解するにはまだまだだった。義理のお母さんが、もう行かないのか、と言ってきたが、行かない!と返した。
もともと語学のセンスが全くない私は、普通の人よりものになるのが遅かった。ましてや、嫌いな国だったので余計に遅かったと思う。


そんなわちきが、約10年も経ち、ある程度イタリア語で生活できるようになってた頃、もう1度講座に参加して正しいイタリア語を習得しよう、という気になり通い始めた。最初に行った所は1時間かけて行ったが、この時は30分ぐらいの前とは別の所に通った。


今回は中級クラスに入ったのだが、その先生は宿題を毎回出す先生で、毎回違うタイトルを出し、それについて自由に書くことだった。今でも覚えてることがあるのだが、イタリアと自分の国の違いについて書く宿題だった。いっぱい考えたので覚えてるのだ。
最初書き始めた時は、もうイタリアに対しての違いを考えてると、それが全て不平不満に繋がり、こんなことを書いてたらきりがないと考え直し、その時感じてた、ひとつだけイタリアに対して日本とは違う、イタリアに対して尊敬することを書いた。


それは、その時日本のニュースで自殺者の低年齢化か言われてた。私もイタリアにいてそのことに大きくショックを受け、色々考えさえられてた。インターネットで世界の国の自殺者の年齢層を調べたり、色々状況を少し調べてみてた。
その当時、イタリアに住んでて自殺したというニュースをテレビで聞くことはほとんどなかった。主人に聞いても同じ。それでは、なぜか、ということを色々考えさえられ、私が出した答えのひとつは教育問題、そして、もうひとつは、家族の繋がり。
イタリアは、カトリックが国教なので、ベースにカトリックの教えがある。小学校から神様、イエス様がどれだけ人を愛しているかを教えられる。そして、みんな兄弟姉妹ということを習う。もちろんこれは小学校からの宗教学でも軽く習うけど、学校とは別にカテキズムと言って、カトリックの教義、伝統をカトリック教会で、5歳から13歳ぐらいまで、わかりやすく教える。もちろん自由参加だが、イタリア人の家庭はほとんどこれに子供達を送る。だから、これによって、時代が変わっても、どんなに自分が間違いを犯したとしても、どんなに孤独でも、自分は許されてるし、自分をわかってくれて、変わらない愛で自分を愛してくれてる存在がいる、ということを教えられる。


日本は、私の時代には、道徳があって人を敬うことを自然と教えられ、御墓参りや、先祖を大切にする習慣が強かったけど、これによって自分は自分だけの私物ではなく、先祖からきてることを、また、先祖が共にいることを感覚的に教えられてたと思う。でも、それがだんだん薄れてると思った。
それに昔は、家族の中での接触というか、会話が今より多かったと思う。今は仕事の関係で家族が揃うことが少ないこともあるだろうし、家の作りが昔とは違うのもあると思う。昔は個人個人の部屋なんてあまりなかったし、携帯とかもないから、家庭の中で家族同士が一緒にいることが多かったと思う。だから、面と向かって言いたいこと言って、喧嘩して、仲直りして、ってやってたと思う。そうやって、家族愛を実感し、家族の一員であることを感じていたと思う。でも今は、家族に対する思いやりは同じだと思うけど、昔と接し方が、また、考え方が違ってきて、個人主義の傾向が強いから、家族の中での自分の価値を深く感じることができないのではないかと思った。


イタリアは、昔も今も変わらず、家族関係がすごい強い。家族を思う気持ちの表現が言葉や態度で表すし、それぞれの部屋があるけど、個人部屋は少し大きくなって勉強に少し使ったり、友達と遊んだり、寝るだけ。あまり使わない。年頃になっても、自分の部屋にこもることはあまりないような気がする。大きな連休になれば、必ずと言っていいほど、離れてても実家にみんな集まる。だから、自分は大切な家族の一員、自分を愛してくれてる家族がいる、ということが心に刻まれてると思った。
世界で自殺者の多い国は、宗教を持たない国、または、共産主義教育のところが圧倒的上位を占める。


と、そんなことを色々考えて、イタリア語でなるべくシンプルに書いて提出した所、先生の添削が終わって返された時に、イタリア語はいまいちだけど、内容は素晴らしかった、とお言葉を頂いた。


残念ながら、今のイタリアも宗教の限界、家族の崩壊が増えてきて、少しずつ自殺者が増えてきてる今日です。

もうすぐ、Vendemmia


Vendemmia(ヴェンデンミア)とは、
ぶどうの収穫をイタリア語でそう言います。
わちきん家は、農家ではないのですが、主人の祖父が広い畑と一緒に土地を買ったので、フルーツ好きの義理の父は、いろんなフルーツの木やワインを作るためのぶどうを植えたので、色々あります。
わちきの父は、県職員で農業改良普及員、場所によっては名前が違うでしょうけど、農業をやってる人たちに、いろんな指導をしてたました。それで果樹を担当してて、霜がでた、とか、雹が降ったというと、朝早く家を出て行ったり、遅く家に帰ってきたりしてました。日曜日でも農家の家を訪問したり、呼ばれたりすると、色々お手伝いにいってました。
わちきも小さい頃は、そんな父についてったりしてましたが、わちきは木音痴で、木を見ても何のフルーツの木か今も全くわからず、今でもよく主人にあきれかえられています。


毎年、イタリアのわちきの地域では、9月中旬前後にぶどうの収穫をします。
去年は、手入れもあまりしなかったことと、雨が必要な時に全然降らなく暑かったため、ぶどうはほとんど全滅でした。
でも今年は、豊作で〜す。とても甘いし!美味しいワインができるはず‼︎


最初、ワインを家で作ってると聞いた時、大きな大きな樽にぶどうを入れて、素足で踏んで作るの?と聞いたら笑われた。むか〜しはそうしてたけど、今は違うと。
そうか、考えてみたら、日本もそうだよね、茶摘み。あれも今は人がやってるんじゃないんだもんね。(笑)


ここにきた時は、絶対日本にいたら経験できないこと、いっぱいやってる。いろんなことを言ったら笑われたり、信じられないようなことがいっぱいあるけど、その一つに木を倒したり、切った木を乾燥させた後に薪割りをする。まあ、一言で言ったらお金持ちじゃないから、人に頼むより自分たちでやった方が経済的なので。だから色々経験してるんだけど、まあ、わちきは好きだからそれでいいけどね、普通の女性だったらやってけないんじゃない?きっと。わちきは、男兄弟の中で育って、小さい頃はいつも男の子と遊んでたから、そういうのが大好き、今も。もちろん、一応主婦もそれなりにやってるよ(笑)ちゃんとトマトソースだってわちきが作ってるんだから!


ここの気候は、日本の福島県の中通り南部と似てるかな。私がそこの出身なので。ただ、梅雨がないことと、湿気が日本ほどはないかな。それと、少し暑くなるのが早いくらい。だいたい暑くなり出すのは、6月くらいかな、年にもよるけど。そして、9月の前半ぐらいまでかな。今も日中は暑いよ、でもだいぶマシ。後は、ほとんど同じ。冬も寒くなるし、マイナスになるときもあるよ。雪はたま〜に降るよ、積もらないけどね、普通は。春もくるし。同じくらいじゃないか、3月中旬ぐらいだから。ただ、ここ数年は変動が大きいよ、日本と同じで、というか、どこもそうみたいだけど。


とにかく、来週は、家族でぶどう狩り。全部収穫するまで終われない。まあ、1日と半日、3人でやったら終わるかな、どうかな。一応、1年間家族で飲むワインはできる、いつも。
雨降らないといいなあ〜。