親子三代が住む家

日本はあまりわからないけど、どこでも嫁姑問題はあるよね。
だいぶまえに日本で、嫁姑のことのをテレビでやってたけど、いいお話もあるけど正直言ってイタリアでよかったかも、と思った。詳しいことは、また今度。
離れて暮らした方めんどくさなくていい、と思うかもしれないけど、どうかね、それは。
わちきは、同じ屋根の下に一緒に住んでるけど。とは言っても2階立てでそれぞれにキッチンとトイレ・バスと寝室があるから。別れようと思えば別れられるけど、中に階段があるから、行き来はできる。
最初、義理の父が生きてた時は一緒だったけど、今は別々。1階にお義母さんで、わちきたちが2階を使ってる。でも、わちきが基本みんなの食事を作ってるし、行き来は自由だ。いつも、顔を見合わせてる。普通は、食事は別々だけど、復活祭とかクリスマスとか、大切な祝日の時とか、家族のお客さんや親戚が来た時は、みんな一緒に食べる。
これが、理想の家かもね、と今は思う。


しかし、こんなわちきのような家庭は、イタリアでも珍しい。
昔は同居するのが普通だけど、20年前でも普通はみんなバラバラ。だから、みんなに同情されてたし、なんで家を出ないのか、と言われてた。
同じ敷地内に、親が家を立てて、子供夫婦がそこで暮らしてる家も結構あるけど、だんだん親から離れて仕事の関係で遠くに行ったり、家を借りたり買ったりする予算の関係で、離れたところに暮らす人たちも増えてる。家庭を持って、親や義理の親と住む人は、だいぶ減ってきてる。
でも実際は、みんな親や義理の親と住みたくないから、親の住んでるところから出て行って生活してるのが現実。


わちきの経験からは、台所を共有しない事、そして、1人で好きな事ができる、1人でいられる部屋があれば、それで、やっていけるよ、やる気があれば。いろいろあってもそれなりにやっていける。傷つきたくないし、めんどくさい、煩わしいから、やろうとしないだけで。


いろいろ人間関係でぶつかりあった方が、人間として成長できるし。ただし、乗り越えようと思う気さえあればだけど。また、家族の価値、人生の意味が分かってれば、逃げられないけどね。自分のことだけ考えてたら、できないことだと思う。
わちきの義理の母に、何度出て行ってもいい、と言われたことか。
なんか、財産宛に住んでるように思われてるかもしれないけど、別にわちきは何もいらない。まあ、イタリアは基本的に、親が亡くなった場合、財産はその子供たちに平等に分けられるから。わちきには、何もいう権利がないし、口を出す気も全くない。親が亡くなってからも平和でいられるように祈るだけ。


わちきは、年取った夫婦が、また、老人が1人で生活してるのを見ると、淋しく感じる。
イタリア人は、自分の親が1人になると、老人ホームにはあまり送らない。お金がかかるから。だから、家政婦さんを探して、一緒に住んでもらったりする。
でも、もちろん人によっては1人でなんでもできるし、気軽だから、と言って、1人で住んでる人も少なくはないよ。でも、いろんな不安を抱えてる。
わちきは人の子として、親と一緒に住みたいけど、住んだらいろいろあるから、できれば、家を建てられるのなら、お年寄りが気楽に居られる部屋と小さなキッチン・トイレを作ってあげて、その他に1世帯が住めるような一軒家を作れたら、それでいいと思ってた。
今住んでる家は、主人が小学校の時に親が建てた家だが、2階建てで、中が繋がってるアパートのような家だ。もともと、夫の親が子供夫婦と一緒に過ごしたい、という思いがあって建てたので。


実は、わちきの父の実家の家がそういう作りだった。田舎の農家の家だから、多分そういう作りができたと思うけど、玄関を入ると、玄関の左側に10畳ぐらいの部屋があって、右側には6畳ぐらい部屋がある、玄関から奥に歩いてって、そこにキッチンがある。それは、土足で使うキッチン、コンクリートの床である。そして、居間の向こうは、隠居部屋があって、小さい台所がある。そこはもちろんドアで仕切られている。で、右側の部屋から、2階にいける階段があって、2階には3つ部屋がる、という感じ。
こういう家、いいなあ、と小さい頃から憧れてた。でも、日本で、今こんな家を建てるとしたら、お金がかかるだろう。現実、難しいよね。


ほんと、義理の親に感謝。一緒に住まわせて頂いてるので。
ほんと、世界の人が、家族みんなで幸せに住めるようになったらいいよね。