え〜、嘘でしょう!

ここイタリアに住み始めるまで持っていた知識と現実が違ってたことに、大きなショックを受けたことが、いくつかある。その1つは、音楽について。


日本人の持ってるイメージは、多分、ヴェニスのゴンドラをこぐ人はみんな歌を歌うし、イタリア人も歌が好きで、音符も読めて、音楽に関する知識がある、と。
しかし、現実はというと、ゴンドラに乗った時に歌を聴きたい時は、予約がいる、ということを聞いたことがある。義理の妹さんに聞いたら、歌える人はあまりいない、と。ヴェニスに行った時、船頭さんの1人が歌ってるのを初めて見て、びっくりしたものだった。しょっちゅうヴェニスに行くわけじゃないけど、見たの初めてだったから。それっきり、見たことはない。


わちきはカトリック教会のコーラス隊に入っている。20名くらいいるけど、楽譜読めるのは、先生と伴奏者と私だけ。それで歌を歌うのである、楽譜を持って。教える側はどんなに大変か、そして学ぶ側は、どれほど耳がよく、勘がよく、記憶がいいか。ほんと、わちきはみんなを尊敬してる、本気で。わちきは楽譜が読めるから、すぐ歌えるけど、みんなはそうじゃない。まず、先生がピアノを弾いてメロディーを聞かせ、歌って見本を聞かせ、音符の上がり下がりをみて、勘と記憶と練習で旋律を覚える。
これは、わちきのだけのところだけかと思いしや、友達のところもそうだった。だから、その友達は、もう疲れてやめてしまったと言ってた。彼女も音楽を勉強してたからね〜。私も、その気持ちはよくわかるけど、わちきがコーラスに入ったのは、ある目的があったからやってられる。
実際、他のイタリア人の友達に聞いても、楽譜を読める人はほとんどいない、音楽を専門で勉強してるか、個人で習いに行った人じゃない限りは、ほとんど読めない、ということだった。また、楽器も歌も学校で教えるのは限られてるから、発声法を理論だけでも知ってる人も、あまりいないんじゃないかな。日本では、お腹に空気を入れて云々と、習うでしょ。
なんかショックだった。


ビバルディ、パガニーニ、ロッシーニ、モーツァルトに出てくるサリエリ、ヴェルディ、プッチーニと有名な音楽家をあげればきりがないくらい、作曲家、演奏家が、昔からいっぱいいる。でも、イタリアの一般にまで教育がなされているわけではないのである。昔は仕方ないけど、今も。


でも、みんな歌を聴くのが大好き。でも歌う人はあまりいないかも、家の中でも。テレビで音楽が流れてきて、好きな曲だったら、少し口ずさんだりするかな。でも、あんまり歌う人はいないかも。
あれ、日本もそうかな?でも、カラオケに行ったりするよね。ここそういうとこないし、今、家庭で持ってる人はいるけど、あまり使ってないと思う。なんか、友達同士で若いこたちがやるのは、たまに見たり聞いたりするけど。近所でも、やったりしてるから。でも、ほんと、たま〜にだよ。


それよりは、ここはダンスの国かな、音楽に合わせて。タンゴ、チャチャチャ、ワルツ、色々あるけど、わちきはダンスのことはわからん。でも、結婚式にも踊るし、夏のお祭りには欠かせないし。ダンスをしないわちき夫婦は少し恥ずかしい。でも、夫婦でやる踊りはいいなぁ〜と思う。見てるだけでもハッピーになる。義理のお母さんも若い頃は、いっぱい踊ってた、と言ってた。でも、義理のお父さん恥ずかしがり屋で踊らないから、友達とか親戚と踊ってた、と。


わちきの住んでるとこは、北のほうだから、南のナポリとかに行くと、どうかな、歌う人も多いかも。日本でよく習う音楽は、ナポリソングだから。
ナポリソングは、ほんと、日常での愛の思いが歌に現れている。恋人への思い、お母さんへの思い、ふるさとへの思い。思いが言葉になり、メロディになるという感じ。
イタリアの歌謡曲なんかは、ほんとよく喋ってる、と言ったら変だけど、独り言にメロディーがついてる、という感じ。だから、イタリア語を話せないと、イタリアの歌謡曲歌うの大変。歌曲とかは、違うけどね。


イタリアは、自分の思いをそれぞれが大切にして、それを料理、音楽などを通して伝えていってるのかもしれない、と思った。だから料理なんかも、ゆっくりと思いを込めて料理する家庭料理が多いかも。イタリア人は合理的というものにあまり興味がないようである。それが、社会の流れのテンポをとても遅らせてるけど、それもまた、イタリアらしいのかもしれない。